京名物「いもぼう平野家本店」の歴史|京都祇園四条、八坂神社に隣接する円山公園内の和食
三百年伝わる
いもぼうの歴史
京都祇園四条、八坂神社に隣接する円山公園内。
老舗料亭「いもぼう平野家本店(イモボウヒラノヤホンテン)」は、江戸中期、享保年間(1716~1736年)に産声を上げました。
伝統の京名物“いもぼう”を看板に掲げ、爾来星霜三百年、時に盛衰はありましたが、代々その暖簾と一子相伝の秘法を受け継ぎ、
今日に至っております。
その始まり
遡ること、徳川吉宗の享保の時代。
青蓮院宮に仕え、御用の傍ら御料菊園や蔬菜の栽培にも携わっていた先祖、平野権太夫は、門主が九州から入手した唐の芋を栽培することに成功し、その形に因んで海老芋と名付けました。
この海老芋を水で戻した棒鱈とともに炊き上げる調理法を考案したところ、評判を得たため、宮家より“平野家”の屋号と現在の地所を賜わって、商売を始めたと伝わっております。
一子相伝で守り続ける
名物“いもぼう”は、全国でただ一軒の真似ることができない京の味でございます。
海老芋と棒鱈を一緒に炊き合わせたもので、海老芋は京都産、棒鱈は北海道産と、選りすぐりの素材を使用しております。
そのレシピは一子相伝。
全国津々浦々まで、京名物「いもぼう」と喧伝され、楽園円山を訪れる方にお召し上がりいただいております。
創業時より
変わらぬ
この場所で
京都を彩る
建物や庭園 認定
市民が京都の財産として残したいと思う、京都の歴史や文化を象徴する建物や庭園を選出する京都市の制度“京都を彩る建物や庭園”。
2022年、円山公園内に建つ当店の建物が認定されました。
歴史を刻み深みを増した京の風情が、ここにはございます。
京の風情をそのままに
一つひとつに
いもぼうの歴史あり
京名所、祇園円山から清水にかけての界隈は総称して八坂と云い、いにしえを偲ぶ名残りの風情が最も豊かな所。
明治三十九年(1906年)に起こった円山公園の火災を乗り越え、改修を経た当店の建物は、今なお当時の面影を残しております。名だたる作家たちの作品が華を添え、緑したたる円山公園を臨む風雅な個室にて風物にひたりつつ、憩いのひとときをお過ごしください。
文豪の京の想い出にいもぼうの味と趣あり
北海に京を和えたるいもぼう哉
松本清張
松本清張著『顔』より
円山応挙、頼山陽、大雅堂、蓮月尼、富岡鉄斉、川端康成、松本清張、吉川英治など、古くより多くの文人墨客に愛されてきた当店は、数々の小説やドラマに登場いたします。
「北海に 京を和えたる いもぼう哉」という句は、作家、松本清張先生に詠んでいただいたものです。氏によって描かれた小説『顔』や『球形の荒野』の中にも“いもぼう”という名が使われております。
『顔』のドラマ化の際には、当店にて撮影が行われました。
三百年を伝えし味には
三百年の味あり
吉川英治
『宮本武蔵』や『鳴門秘帖』など数々の名作を生んだ小説家、吉川英治先生。
先生が「三百年を伝えし味には三百年の味あり」と称賛された京の味こそ、いもぼうです。
その他にも、川端康成先生の『古都』、堀田力先生の『否認』の一説にも登場しております。
同志社大学創立者である新島襄・八重夫妻もまた、1881年3月19日に当店を訪れました。
メディア紹介
ジパング倶楽部2012年12月号
週刊朝日2013年2月1日号
歴史の旅「新島八重」
2012年12月6日号